実は凄い、歴史書には載らない身近な偉人。

今年のお正月。
私はあることをしようと決めていた。

それは、父の人生を思い出す限り聴く事。

私が生まれてからの、父の記憶はあっても、
それ以前の人生をどう歩んできたのか、
ほとんど知らないということが
何となくもったいない気がしたから。

2018年元旦の日、
「このお正月休みはね、
お父さんの人生を聴くために帰ってきたの。
生まれてから、今までの事、色々教えて」

父は一瞬キョトンとしたけど、

「知りたいの」

そう言ってメモ帳を取り出し、
「話しを聴いたら、家族で共有するからね。」
そういうと、

はははと笑いながら、
ポツポツと話し始めた。

旅がらす

最初に出てきたのは、
昭和16年(1941年)太平洋戦争が始まった年。

父8歳、食料がなく、
土手や道にまで、芋、豆、葛葉を蒔いて食料を育てていた話。

次は15歳。初めて出稼ぎに出た時の話。
王滝村で発電所の隧道を作る際に刃を替える仕事について、
前科者が多い職場の中で昼夜をともにした事。

その後は、
1つの仕事が終われば、
また、お金になる仕事を探し、
日本中を渡り歩く。
滋賀にある会社への直談判は断られ、
しばらく名古屋で仕事を探しながら野宿をした。

その間約1ヶ月、名前の知らない親方が
毎日ご飯を食べさせてくれたと。

そんなある日、名古屋駅で出会った
渡世人に仕事を探していると話すと、
静岡の井川ダムへと連れて行かれた。

彼は佐々木さんといって、会ったのはその1回限り。
なぜ彼が渡世人って分かったの?と聞くと、
風貌を見ればすぐわかる。

とにかく、あの時代は、自分から仕事はないかと
声をかけるのは当たり前のことだったと。

おふくろの嘘

井川ダムでは、工事中に亡くなる人を何人も見てきた。
危険な工事だから、自分の身は自分で守らないと
生きていけない。
何も考えず、指示された通りに動いている人は、
時に命を落とす。

だから、工事現場では亡くなった人を火葬する仕事もある。
父も何度か手伝いをしたと言っていた。

「当時は、そんなもんだ」と言いながら

「そこでは、1日1回しかご飯がなくて、
ズルしてもう一回列に並んだら、
見つかってな、怒られたから、
もう俺仕事やらね!やってられっか!
って言ったら、後でこっそりご飯くれたよ。
俺はよく働いたからな」

笑い話と辛い話。
交互に交えながら、決して重たい話にしないのは
父の性格。

「そう言えば、井川ダムでの仕事をしている時、
実家から、チチキトクの電報が届いてな。
家に着いたら親父ピンピンしてたよ」

危険な仕事だと噂で知った母親の策略。

「騙されたよ」と父。

その後、20才で初めてコッペパンを食べた話。
友達の赤痢騒動。
牛を連れて酒場に行って飲んだり、
山を買って大損したり、
母との馴れ初め、
初デートは酔っ払って映画館で寝ちゃったり。

その後も、67才で仕事を辞める日まで、
失敗も、成功も、
仕事でも、プライベートでも
どんな出来事があったのか、
父が思い出す限りずっと話を聴いた。

自分を人生を振り返る

思い出話。
内容の年号を上下に動かすと
父の歩んで来た人生が少しずつ見えてくる。

父の話を聞いて
2日目の夜。

父は面白おかしく、自分の話をしながら
突然しばらく黙り込んだ。

こみ上げる思いと共に、

小さな声で「おれ、よくやってきたな」

そう言って声を詰まらせた。

つられて、私ももらい泣き。

「ほんとだね」とそれだけ言うのがやっとだった。

人一人の人生をたった2日間では、
到底知ることなんてできないし、

今回聞いた、父の人生もほんの一部に過ぎない。

それでも、
父の人生を知れば知る程
尊敬の念が増していく。

身近な偉人

後になって、兄に父の思い出話しを共有した。

兄は話を聞いた後、
「俺は、その親父が築いた信頼の上で
仕事ができている。

親父の凄さは、一緒に仕事して来た
周りの人からヒシヒシ感じる」

兄もまた、違う形で父の存在の大きさを感じている。

私の隣で、この話を聞いていた娘も

「じいちゃんて凄い人だなって思った。
凄い人って身近にいるんだね。
ほんと尊敬した」

身近にいる凄い人。

回りにいる年配の方も同じ。
60年、70年、80年
生きてきた人。

そう思えないとしたら、
ただその人の人生を知る機会がないだけ。

どんな人でも
その人の歩んできた人生を知ったなら、
その人が特別な人に見えてくる。

身近な凄い人は、身近な偉人。
私にとってそれは親だと思う。
決して、歴史書に残るものではないとしても、
関わってきた人の記憶に残るような経験を積んできている。
それを知らずに過ごしているとしたら、
ちょっともったいないよね。

私の父へのお正月ミッション。
2日間、話を聴きつづけるのは
正直、大変だったけど、
話が聴けて本当によかったなと思ってる。